明星花露水

Story

明星花露水(ミンシン・ファールースェ)は1907年、『中華薬典』 を参考にし、 ローズやジャスミンなど多くのフローラルオイルと食品用アルコールを配合した皮膚薬として、当時の上海「中西薬局」会長の周邦俊(チョウ・バンチュイン)医師により開発されたのが始まりです。その後、上海のクラシックな濃い緑色のガラス瓶、西洋化されたピンクのバレエ衣装を纏った少女をイメージキャラクターに据えた明星花露水は、モダンファッションの象徴となりました。1945年より、製造工場が台湾に移った現在も、何世代にも渡り深く愛され続けているのが明星花露水なのです。

about

明星花露水は、1907年の創業当時から変わらない100%オーガニックな万能ルームフレグランスです。化学物質 ※環境ホルモンは一切使用されておらず、国際香粧品香料協会(IFRA)の認定を受けた植物由来成分の香料だけを使用しています。 イギリスから輸入したユーカリ油を使用し、台湾本国では屋外での蚊よけや虫よけにも効果があるとされています。

Scene

  • 除菌に
  • 消臭に
  • リラックスに
  • 就寝前に

History

1907
明星花露水(ミンシン・ファールースェ)は1907年(清緒34年)、『中華薬典』 を参考にし、 ローズやジャスミンなど多くのフローラルオイルと食品用アルコールを配合した皮膚薬として、当時上海「中西薬局」会長の周邦俊(チョウ・バンチュイン)により開発。
1937
明星花露水が、フィリピンの首都マニラにも輸出され始める。
1945-1950
台北に事務所を設立し、「明星香水肥皂廠股份有限公司」(後に明星化工股份司に社名変更)を設立。
1951~1979
積極的な販売展開を行い、高雄百貨店が2月に25,000リットルもの明星花露水の注文をするなど、国内売上高が過去最高を更新。当時、台北市生活衛生製品工業協会の会長であった周邦俊は、明星花露水の密輸を避けるため税制上の手続きを簡素化し、明星花露水の位置づけを「化粧品」から「生活衛生製品」に変更することを政府に望み、一般消費者の心に明星花露水のブランドの基礎を築くことを進めた。
1994
周邦俊の長女、周文璣(チョウ・ウェンシー)がサンフランシスコにて「世界中華工商婦人企業管理協会」を創立。第1回世界総会理事長となり、翌年サンフランシスコでの国連創立50周年記念式典にて「アジア優秀女性賞」を受賞。
2003
重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行。
明星花露水はアルコール合有量が高いために消費者の注目を集め、完売。
2018
明星化工は、設備の老朽化を理由に明星花露水の製造を中止することを発表。伝統的な香りを一世紀にわたって作り続けてきたために、多くの顧客から惜しまれる。
2019
商品の持続的な発展と革新を求めるため、明星化工が森晨貿易株式会社と協力することを決定。これにより製造が再開され、明星花露水が蘇ることに。
2020-1
新型コロナウイルス流行の需要に応えるため、新商品の消毒ハンドジェルを生産し、最初の20,000本を台北市薬師会や高雄市などの第一線医療従事者に寄付。市の教育部門と医療部門はこの動きを支持し、医療スタッフの保護を強化できると期待を表明する。
2020-2
ピンクバレエ衣装を着た少女を一新。少女をより専門的なダンサーのイメージに変え、商品のオリジナル性を高めることに成功。明星花露水が永遠に続き、そして香りが受け継がれるよう、歴史あるブランドを若返らせ現代において再創造している。
2024
歴史上初めての海外法人となる、日本明星花露水株式会社を設立。
prev
next

Item

オンラインストア